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かさじぞう日和 [テレビ]

この間、と言っても私がインフルエンザにかかる前であるので相当前の話であるが、アカゴやコドモ、相方さんと一緒にNHK教育を見ていた際、「これ、一体いつ製作したのか」というぐらいに、なんというか、こう、「年季が入った」とでも言えばいいのか、とにかく非常に現代的ではない人形劇が始まったのであるが、その、時代を超越した人形たちの動きが何やら「毎年毛が伸びる日本人形」的な、いにしえの怖さみたいなものを醸し出していて怖かったのと同時に、そのストーリーが予想を裏切るもので、かなりおかしくて笑ったのだった。

人形劇のタイトルは「かさじぞう」である。「かさじぞう」というと、私や相方さんも含めて多くの人が頭に思い浮かべるストーリーは「オジイが町に笠を売りに行ったが全く売れず、帰り道、雪が頭に降り積もって寒そうに見えた六地蔵に、売れ残った笠5つと足りなかったので自分の笠を付けてあげると、夜になって六地蔵さんたちがお礼にやってきて、色んなものを家の庭先に置いて帰っていった」といったようなものになると思われるのであるが、その日放送された「かさじぞう」は、明らかにそれとは異なる内容だった。

そもそも、オジイが笠を売りに出るところからして違う。というか、そこが違うからこそ後々気持ち悪いことになるわけなのであるが、何が違ったかというと、オジイ、町へ笠を売りに行く、その行きの道で、既に六地蔵に出会ってしまうのである。いや、そりゃまあ家から町へ向かうのも、町から家へ帰ってくるのも同じルートだとは思うのであって、「帰りに出会う六地蔵が行きにはいない」ということの方が不自然であることは認めるものの、だからといって、そこは物語の構成上敢えてスルーしても誰も文句は言わないのではないか、などと思ったりもするが、実は、問題は、出会ってしまったこと、それ自体にはない。ただ出会っただけなら別に良いのであるが、問題なのは、オジイがそこで、その時点で、もう既に「六地蔵に笠をかぶせたくてしかたがない状態に陥っている」のである。オジイ、フライング気味である。焦るな。落ち着け。という願いもむなしく、曰く「お地蔵さんがあ、寒そうじゃあ」と、信仰心があるのかなんだか知らないが、オジイ、もう完全にその気である。ただ、「これを売らねば、ばあさんに食わせる餅がああ」などと一人ブツクサ葛藤し、挙げ句最終的には「おじぞうさまあああ、すいませんですじゃあああ」と言っていたかどうだかはうろ覚えではあるが、とにかく何か叫びながら、泣きながら必死で六地蔵の前を走り去って町へ向かったのである。

そんな話だったか? かさじぞう。その時点で、相方さんと二人、興味津々である。ある意味、テレビに釘付けになっている。ちなみに、コドモもアカゴも全く興味なしで、おもちゃ遊びに興じている。そりゃそうだろう。何はともあれ、人形が怖すぎである。だからといって「ざわざわ森のガンコちゃん」もどうかと思うが。

さて。町へ出たオジイがまた問題で、というか、私たちの記憶にある「かさじぞう」のオジイの笠は誰にも相手にされずちいとも売れなかった印象なのであるが、何故かこのオジイの笠は、大人気である。客が結構集まって来ていて、「おい、じいさん、これ2つおくれ」とかなんとか言って今にも売り切れそうな勢い(笠5つしか持ってきてないので)である。良いじゃないか、というか、売れたらこれ、話が全然違うものになるんじゃないかと思っていると、オジイ、そんな客の言葉には目もくれず、「ああ、お地蔵さま、寒そうだったなあ」、「笠、かぶせてあげれば良かったじゃろうか」と、完全にお地蔵さまのことしか頭にない状態である。凄い。もう、現代風に言えば「お地蔵、萌えー」みたいな状態になっているのである。で結局、せっかく集まった客をつかまえて「すいません、これは、売るわけにはいきませんのじゃああ」などと言い、「お地蔵さまあああ、今、笠をお持ちしますよおお」などと叫びつつ六地蔵さんのもとへと駆けつけるのである。

そりゃまあ「売れ残りの笠を地蔵につけて、それでお礼をもらう」ってのもまあちょっとずるい気がしないではないが、だからといって、そんな「地蔵LOVE」みたいな設定にすることもないんじゃないのかと思うのである。何しろ、そのアレンジのおかげで、なにやらオジイが相当気持ち悪いことになっているのである。良いのか、それで。


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給食カレー日和 [ニュース]

カレーも箸で食べますか!? 給食から先割れスプーン減少で… Sankei Web 社会 2006/01/23 10:09

とある事情で、給食について調べていた時に見つけた記事である。とある事情って、まあ、「今日の給食」以外のなにものでもないが。

私が小学生だった頃は、給食と言えばまず間違いなく「先割れスプーン」だったのであるが、最近は、まずは「はし」になっているそうである。確か私が小学生だった頃に、途中から急に「はし」を使い始めたように記憶しており、ちょうど切り替えの最中だったのかもしれない。何でも記事によると、先割れスプーンは「スプーンとフォークの機能を備えているものの切り込みがあるためこぼれやすく、「犬食い」を助長するとの指摘がある」ことから使用率は減少傾向にあるそうであるが、先割れスプーンって、そんな、こぼれやすいほど深く切り込みが入ってただろうか。それ、「スネ夫の髪型」か何かと勘違いしているのではないだろうか。

でまあ、先割れスプーンの動向も気にはなるが、この記事で話題となっているのは、もっぱら「はし」の方である。

カレーもはしで食べますか−。給食でスプーンが使われないためカレーをはしで食べている学校が一部にある。米飯給食の普及に伴い、先割れスプーンがはしに切り替わったものの、スプーンが不足している影響があるとみられる。違和感を隠せない保護者や識者からは「スプーンで食べさせてほしい」との声が強いが、マナー違反とはいえないと異論を唱える人も…。

カレーに限らず、シチューやハヤシライスなど、スプーンで食べた方が食べやすいものはそのように指導してもらった方が良いのではないかとも思うが、記事を読み進めていて笑ったのは、学校職員の意見である。

別の職員からは「私はカレーは自宅でははしで食べることもある。ハンバーグも本来はナイフやフォークが正しいかもしれないが、はしを使ってもおかしくない」との声も漏れる。

何を言い出したんだ、この人は。ハンバーグをお箸で食べるのと、カレーをお箸で食べるのとを同じ次元で熱く語られても困るし、あと、じゃあハンバーグカレーはどうするのかなどといった新たな問題が出てきて、事態はいっこうに収まらないのではないか。それを言い出せば、カレーだって「神聖な右手で食べる」のが正しいかもしれないが、それはマナーではなくて、ただの、彼の地の風習である。いいじゃないか別に、スプーンで食べれば。そんなにダメか、スプーンでカレーを食べるのが。

というか、取材記者がどうも調子に乗っているとしか思えないのは、記事の最後にこんな記述があるからに他ならない。

横濱カレーミュージアムのプロデューサーでカレーに詳しい井上岳久さんは(以下略)

いや、あの、給食のカレーとそんな本格的なカレーとを比べるのもどうかと思うが。

で、この話を相方さんにすると、笑って聞いていた相方さんは、最後にこう一言付け加えたのだった。

「でも、カレーはお箸で食べた方が、絶対においしい」

しまった。相方さんは、最近カレーをお箸で食べることに凝っているんだった。


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インフルエンザ日和 [雑記]

イ! ン! フル! エンザ!

勢いよく書いてみたところで病に伏せっていた数日間が戻ってくるわけではないことぐらい分かっているが、水曜夜から木金という二日と半日もの間、鼻水、関節痛、発熱、頭痛、吐き気などのあらゆる病魔の攻撃に耐え、あと、あとで詳しく書くが様々なむかつく人々に対して怒りを覚えながら、今朝からようやく通常の体調に戻りつつある私なのである。ついでにいえば、木曜夜から家族と完全に別室で一人過ごしており、しかも金曜、つまり昨日は何を隠そう私の誕生日である。別に今さら盛大にパーティを開いて欲しいとかいう西田ひかるみたいなことは望んではいないが、だからといって、一人、部屋で布団にくるまって寝込んでうなされるというのも、相当切ない誕生日である。うちの会社には自分の誕生月に休みが取れる「バースデイ休暇」という制度があるが、そんな制度を使うのもまた切ないので、普通に有給を取ってやろうという気持ちでいっぱいの私なのである。

そんな気持ちを込めて、あと、ようやく元気になりました、という気持ちも込めて、せめて今日は、今日だけは、今日だからこそ、勢いよく書いてみた次第である。

書いておいてなんだが、なんか、チアガールみたいで笑えるな、これ。「エンザ!」ってのもなんだが。

火曜の夜から微妙な腰の痛みを感じ、その感覚に、以前風邪で倒れた時と非常に近しいものを感じはしたものの、まあ毎日家に帰ったら手洗いとうがいはしてるし、コドモとアカゴの風邪も治りつつあるし、風邪ひいたとしても大事には至らないだろうなどと安心していたら、翌水曜には鼻水が仕事に差し支えるほどに出始めたことにまず驚いたのだった。これはまずいと、仕事中ポカリをがぶ飲みしつつトイレでうがいを繰り返し、それでも夕方近くには頭がボーっとして仕事してるのかしてないのかよくわからない状態になりつつ、というか、そういう場合は大抵仕事になってないのであるが、まあ一応何とかその場は凌いで定時過ぎに帰宅。夕食は割と普通に食べ、夜は子たちと一緒に早く寝たのであるが、夜中の2時頃に頭痛を感じて目覚め、それで、慌ててナロンエースを飲もうと思い立ち、で、空腹ではまずいと咄嗟に「ふりかけご飯」を食べたのだった。今思えばその時点でおそらく熱が結構あったのではないかと思うのであるが、その割には随分余裕な態度に我ながら驚く。というか、食べながら「余裕あるなあ」とか思っていたぐらいである。まだまだ余裕があった。いや、今気付いたが、そんな時間に「ふりかけご飯」を食べている時点で、実は相当余裕がなかったのではないか。普通、そんな時間に「ふりかけご飯」なんか食べないはずである。熱で頭がどうにかなっていたのだろうか。

それでもどうにかナロンのおかげで再び眠りについたものの、次に目覚めた4時頃にはパジャマが汗だくになっていたのだった。熱があったのがエースの効果で下がり、その影響で大量に汗をかいたのだろう。急いで着替えて再び就寝。その時点で次の木曜は会社を休んで病院にでも行けば良かったのであるが、朝起きて熱を測ったら36度8分なんて微妙な体温で、おまけに頭痛もなく体調は至って普通っぽかったのである。大人なので、そんな微熱で会社を休む気にはなれず、普通に出勤。仕事中は例によってポカリをがぶ飲みしつつトイレでうがいを繰り返し、それでも午後からやけに頭がボーっとして仕事してるようなしてないような感覚でいたのであるが、家に帰って熱を測ると、体温計は「38度8分」などと言うのである。それ、嘘じゃないのかと思ってもう一回測ると今度は「39度2分」だそうだ。こりゃちょっとまずいということになって、慌てて近所の病院へ走ったのだった。もちろん、本当に走ったわけではなくて、走ったのはタクシーで、私は乗せてもらってお金を払っただけである。そんな説明をくどくど書いている時点で、まだ私は病んでいるのかもしれません。出て行け、ウイルス

近所の病院で待っている間、とりあえず測っといて下さいと渡された体温計は軽く「39度5分」を記録。一度引っ込んだ看護婦さんがマスクを持ってきて「一応、これ付けといて」と素っ気なく言い、マスクを付けたか付けてないかぐらいのタイミングで、順番的にはもう少し後だったはずの私が診察室へ呼ばれたのだった。あまりにも明らかな重病患者扱いに怯えつつ診察室に入ったわけなのであるが、その医者がもの凄く偉そうな口調で話すので相当むかついたのだった。何しろ椅子に座るなり「いつから?」と早速偉そうである。「昨日ぐらいからです」と答えると軽く聴診器をあて、のどを診て、即「症状からみて間違いなくインフルエンザですね」と、これまた偉そうに言う。で、なんかインフルエンザをチェックする長い綿棒みたいなものがあり、それを鼻の奥まで突っ込むわけなのであるが、その際にも「これ、痛いです。我慢して下さい」と漏れなく偉そうである。「結果が出るまで10分から15分くらいかかるので、表のソファで待ってて下さい」と言われたので待っていたのであるが、待っている間ずっと「これでインフルエンザじゃなかったら、絶対あの医者殴ってやろう」と考えていた。ま、結果的にはインフルエンザだったので、その医者は命拾いしたわけである(私に殴られなかったので)。いや、命拾いしたのは私か。

処方箋をもらって病院を出て、近くの薬局へ行ったわけなのであるが、先に来ていたらしい病人のカップルがいて、彼らにまた腹がたったのは、小さい薬局なので座って待つところが余り無く、詰めれば3人座れるにも関わらず、そのカップルは平然と優雅に座っているのである。私が立っているにも関わらず、である。そもそもカップル二人とも病人っていう時点でなんか無性に腹が立つ。根拠はないが。 それでも二人がすぐに店を出て行くなら良いのであるが、薬が出来てからも「これはこっちとどう違うんですか?」などと説明をいちいち細かくのんびりチェックして確認などしているのである。挙げ句「最近の病院は」みたいな話までしはじめている。マスクして立ってウロウロしている病人がいるのに、である。社会人として信じられない気の効かなさに愕然としながら、あと熱があっていい加減つかれていて苛立っていたのもあって、なんだろう、もう、「いいから早く帰れ」とばかり考えていたのだった。病気は人を変えるな、しかし。普段はもっと気の優しい私であるはずなのだが。

そんなわけで薬をもらって家に帰ってからは、ひたすら家族と隔離された2階の奥の一室でただただ少し食べて薬を飲んで寝てを1日半ほど繰り返し、今朝になってようやく平熱に戻り、頭痛もほぼ取れ、体調も戻り、こうして日記をしたためているといった次第である。明日の朝平熱であれば、隔離部屋から解放され(マスクはしますが)、ようやく普通に過ごせそうである。

相方さんがさっき寝る前に「ちょっとお腹が痛い」と言っていたのが気になるのではあるが。大丈夫だろうか。うつってなければ良いのであるが。


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うまいらしい日和 [コドモ]

最近、風邪をひくと腰にくるようになった。私の体の中で、確実に何かが老いさらばえ始めているのを感じ、ちょっと憂鬱である。

コドモとテレビを見ていると、バームクーヘンを作っているところが映し出され、余りにおいしそうだったので「あんなん食べたいな」などと口にすると、コドモが「うまいらしいなあ」と言うのだった。なんだろう、何かがおかしい。「うまいらしいって、それ、誰からの情報だ」とか思ってよくよく聞いてみると、「うまいらしい」ではなくて「うらやましい」と言いたかったらしいのだった。

コドモの言い間違いというのはなかなかに可愛らしいものがあるのであって、例えば、コドモは大の電車好きであるので日常生活の中で不思議なくらいに電車の名前をしょっちゅう口にするのであるが、「はるか」だの「のぞみ」だの「オーシャンアロー」だのは普通に言えるものの、「エクスプレス」の発音だけはうまく言えず、何度言っても「エクスプスレス」となってしまうのだった。「トワイライトエクスプスレス」、「成田エクスプスレス」、と、常にスが一個多い。しかも「エクスプスレス」という名の特急は、どう考えても途中で脱線とかしそうで問題である。それでコドモに「スが多い」と指摘すると、今度は大抵「エクスレス」になって、プがなくなってしまうのである。可愛い。オトナの老いゆく頭ではなかなか考えられないネーミングである。


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通院日和 [雑記]

ようやくアカゴの容態が安定期に入ってきた。夜中に泣いて起き出すことも、無くなりはしないものの、その泣きっぷりの本気度が違う。少し前の深夜のアカゴは、ちょっとやそっとじゃ泣きやまないばかりか、ついでにコドモを起こして泣いて暴れさせる、ある種の魔物だった。今はもう、ちょっと抱っこしてやればスヤスヤ寝付く小悪魔である。ティッシュで鼻を拭くと必ずティッシュを食べようとする、ちょっとお茶目な小悪魔。

コドモの方は、風邪はともかく、ホコリとダニアレルギーによる肌荒れがひどく、ちょっとどうかと思うほどであったので一度近所の皮膚科で診てもらおうということになり、土曜日、私がアカゴを小児科へ連れて行く間に、相方さんが、ネットで検索して見つけた最寄りの皮膚科へコドモを連れて行ったのであるが、行った病院は既にもぬけの殻、というか、何やら無くなっており、それで仕方なく、以前私が指に出来たタコを治したくて一度だけ行った、古くて暗くて小さい木造の、医者がオジイの病院にでも行けばどうかと、その場所を、うろ覚えなので何となくの雰囲気で相方さんに教えたのだった。

診察を終えて帰ってきた相方さんは、開口一番「あのオジイがむかつく」と言ったのだった。

普通皮膚科というのは、皮膚科だけだと病院として患者が集まらないのもあってか、大抵内科やなんかも一緒にやっているものなのであるが、そこは純粋に皮膚科のみであり、それもあってか患者数がかなり少ないので待たされることがないというのはかなりの利点ではあるものの、そんなことはさっ引いて、とにかく「オジイがむかつく」のだそうである。

何をそんなにむかついているのかと聞くと、「とりあえず、領収書をもらえなかった」というのである。

えーっとですね、念のために説明しておくと、京都市の場合、3歳未満の子どもの医療費は月額200円であり、3歳以上の未就学児は月額8000円を越える分は払い戻ししてもらえるのであって、そうでなくとも確定申告で年間10万円を越えていれば控除してもらえるとかいうのもあって、何にしても、まあ月額8000円とか年間10万円とかいうのは正直それだけで相当きついものがあるのであるが、そこまで行かないにしても、基本的に医療費については領収書が欲しいものなのであって、というか、そんなことは日本で医者をやってれば当然わかるはずの常識である。「オジイの皮膚科の場所だけペルー」とかいうなら話は別だが、オジイの皮膚科も根っからの日本である。

それをオジイは、「いや、領収書出さないって言ってるんじゃなくて、今度来た時にまとめて出すって言ってるんです」だの「どうしても今すぐ必要って言うんなら、出さないわけじゃない」だの、相当グダグダ言ったそうである。なんだろう、もしもまかり間違ってグダグダ言ってるのがオダギリジョーなら「それでいいです!」とかなってついでに目がハートになって胸がキュンとかなるのかもしれないが、相手はうだつの上がらない皮膚科のオジイである。胸がキュンどころか、コメカミがブチッである。

というか、何をそんなに領収書をまとめて出すことにこだわりを持っているのかと思うが、想像するに、たぶんきっと、領収書をケチるぐらいに、本気でお金がないんだろうと思う。何しろその医院は、確か私が行った時には、医者のオジイが受け付けして、そのままオジイが診察していたように記憶しているのであるが、どうも相方さん曰く、受付には別のオジイがいたのだそうで、となると、オジイ二人が切り盛りしているということになり、それはまた相当経営的に厳しいのではあるまいか。想像するに、オジイ二人では、病院を切り盛ることなどできないのである。オジイ二人が切って盛れるものなぞ、せいぜい漬け物ぐらいである。

そんな、お金のない皮膚科らしいエピソードをもう一つ。

あとで相方さんに聞いて思い出したのであるが、この皮膚科、薬の入った紙袋を「診察券」と言い張って聞かないのである。よくある、薬の入った小さなペラッペラの紙袋が、である。それがれっきとした「診察券」で、「次回来院時に必ずお持ち下さい」とか書いてあるので笑ったのだった。「そんなバカな」という話である。券じゃないのに。袋なのに。いや、そういう問題ではなくて、「紙袋が診察券」というのは、例えば「スーパーの袋が会員券」とか、「割り箸がポイントカード」とかと似た話なのである。割り箸がポイントカードだと、ハンコが押しにくいとか、色々問題があるのである。


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アカゴ視力日和 [コドモ]

産まれたばかりの赤ちゃん視力は、0.03から0.05なのだそうである。つまり、ほとんど何も見えていないということである。ただぼんやりと「何かがある」ということがわかる程度の視力。それが、1歳になると0.1、2歳で0.3、3歳になると、6〜7割の子どもが1.0の視力になるのだそうで、そう考えると、今アカゴは1歳であるので、視力としては0.1ぐらいということになる。

油断すると、すぐに、床に落ちているビックリするほど小さいゴミやホコリ、カピカピになったごはん粒などをめざとく見つけては口に入れてモグモグしているアカゴを見ていると、とてもじゃないが視力0.1とは思えないのであるが。


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コドモアカゴ風邪日和 [コドモ]

コドモとアカゴが風邪である。もう、この日記で何度書いたかわからないぐらいにコドモやアカゴの病気のことを書いているが、こればっかりは本当であるから仕方がない。

火曜の夜に始まった二人の風邪は、今回も例によって軽めの喘息を伴い、やや長引いている次第である。とはいえ、コドモの方は随分丈夫になったもので、何しろ火曜日の夜、小児科で本当に久しぶりに吸入をし、で、水曜一日休んだだけで今日から保育園である。素晴らしき回復力。アカゴは、熱は下がったものの軽い気管支炎を併発しているようなことになっており、小児科の先生曰く「本人はかなりしんどいはず」であるらしいのであるが、今日1日二人で一緒に過ごした印象としては、アカゴはすこぶる機嫌が良く、いつもと変わらず元気にご飯も食べ、元気に遊んでおり、まるで病気なのが嘘のようである。そういえば、小児科で「ご飯もちゃんと食べられてないんじゃないですか?」と心配されたので「いや、ご飯はいつもよりちょい少ないくらいで普通に食べてますけど」というと苦笑されたのは、アカゴもコドモもプクプク太っており、しかも食欲についていつ聞かれても大抵「食べてます」としか答えていないからである。病気というのは、嘘なのだろうか。

ただ、やはり寝ている時に痰や鼻水が詰まって寝苦しいらしく、昼寝中や夜など1〜2時間おきに泣いて起きたりしており、なかなか落ち着いて寝ていられない日々が続いている。ただ、抱っこしてやると「顔をスリスリしてきて、スヤスヤ眠る」というのがまるでネコのようで可愛いという側面もあって、親バカというのは、つまりこういうことなのだろうか。

そんなわけで更新がやや滞り気味であることをご了承下さい。これから徐々に、いつものペースに戻していく予定です。


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ルービックキューブ日和 [ニュース]

ルービックキューブの世界--人気復活に一役買うインターネット -CNET Japan 2006/01/17 22:46
Loは米国時間14日、当地のExploratoriumで開催されたルービックキューブ世界大会において、橙/白/青/緑/黄/赤の全6面をそろえる競技で11.13秒という世界新記録を樹立した。

世界記録があるということにも驚くが、それが11秒だというのに、もっと驚く。11秒。ちょっと早すぎやしないか。例えば私の場合、朝、目覚ましが鳴ってから止めるまでの間がちょうど11秒ぐらいであり、ということは、彼の手にかかれば「朝、我が家の目覚ましが鳴ってから一旦止まるまでの間に6面揃えることが可能」ということである。

つまり、「朝飯前」ならぬ「お目覚め前」である。

それが何を意味しているかというと、「朝、目覚めた瞬間に枕元でルービックキューブを揃えられると、ちょっと鬱陶しい」ということである。たとえ神業じみたことであっても、「朝っぱらから枕元で」というシチュエーションは、鬱陶しい以外の何の感情をも喚起させないのではないか。そもそも、目覚ましがなってからの11秒というのは、人間という生物がもっとも無意識下で活動している時間であって、そんな時間に誰が何をしていようが、もはや何の記憶にも残らないのである。だいいち、自分の行動ですら記憶が曖昧で、「あれ? 目覚まし、止めたっけ?」みたいなことがしょっちゅうなのである。目覚ましを止めた私にLoが6面かっちり揃ったルービックキューブを見せた所で、私としては「え? 揃った? 本当に? 最初から揃ってたんじゃないの?」と疑うより他ないのである。或いは、「揃った? 何が? 6面? ああ、そう」とだけ言って二度寝するか、どちらかである。

ちょっと考え方を変えよう。6面で11秒ということは、1面揃えるのに2秒かかってないという計算である。ちょっと、にわかには信じられない話である。普通、1列ガチャっと動かすだけでも、2秒はかからないにしてもそれなりに時間はかかるはずで、2秒弱だとせいぜい3~4列回転させるぐらいが関の山なのではないだろうか。そして、全くの素人考えなので間違っているかもしれないが、1面揃えるのにも相当回数の回転はさせなければならないと思われ、そう考えると、もしかすると、Loをはじめとする強者たちは、何かもの凄い、1秒間に100回転ぐらいの殺人的なスピードでキューブを回したりするのかもしれない。

そう考えると、朝、枕元でルービックキューブを1秒間に100回転のスピードで回されたら、よくわからないが、「なにか「ブォワーン」などと言った風を切る轟音で目が覚める」といったことが起こる可能性がある。或いは、「高速回転中の手が誤ってパジャマに触れた瞬間に、パジャマが切り裂かれてしまいそうな恐怖におそわれて、寝てられない」か、どちらかであり、どちらにしても、目覚ましとしての効果はかなり期待できるのかもしれない。


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自己チュー日和 [ニュース]

超有名ギタリスト御用達--脚光を浴びる自動チューニング技術 - CNET Japan 2006/01/12 12:26
フォトレポート:ファン必見--「自己調節」するギターの数々 - CNET Japan 2006/01/12 19:42
The Performerは、ボタンを押すだけで6本すべての弦のテンションを約5秒で同時に調整できるようになっている。ギター本体に組み込まれた液晶画面には音価、オクターブ、各弦の「セント値」(セントは相対音程の単位で、1オクターブは120セントに相当)が表示される。このシステムを開発したNeil Skinnによると、そのチューニング精度は±2セントだという。

まあ要するに、ボタン1つで自動的にチューニングしてくれるということであるらしいが、便利そうなのは良いものの、どうも、その、何というか、ボタンを押すという動作は、ロックギタリストとしては、すこぶる格好悪いのではないだろうか。ギタリストが曲の合間にチューニングしたり、ギターを持ち替えたりというのは、ある種のモテ要素の一つであると思うのであるが、それがボタン1つで5秒でチューニングである。そんなの、ちっともロックじゃない。

というか、フォトレポート内で、自動チューニング対応のギターを持って立つジミーペイジが、どうひいき目に見てもただのおっさんにしか見えないばかりか、下手すれば日本人に見えるのが笑える。ジミーでペイジなのに。


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Winter sweets cafe 日和 [雑記]

土曜日、junedrop さんの作品展へお邪魔した。

新京極を三条から入って少し行った所にある、詩の小路ビル4階「white cube」というギャラリーで、数名の作家さんとの共同展である。以前同じ場所に junedrop さんの個展を見に行った際、家族4人で一斉に押しかけたら会場が思っていた以上に狭く、というか細長く、しかも非常に小さい作品たちの展示であるので、コドモが不用意につぶしてしまいそうでヒヤヒヤしながらで落ち着いて鑑賞できたものではなかったことがトラウマとなっており、今回は、土日に相方さんと交代で一人ずつ見に行くことにしたのだった。さしあたり、午後3時から個人的に所用がある私が土曜日に出掛けることにした次第である。

コドモとアカゴの昼寝が始まった午後1時前ぐらいに家を出て市バスに乗り込む。午後2時ぐらいから会場に居られるとのことだったのであるが、まあ早めに行ってサクっと帰ってくるつもりで、出会えなくても仕方がないぐらいの気持ちで出掛けたのであるが、ついでだからと四条高倉でバスを降り、ぶらぶらと四条や寺町、新京極を歩きながら界隈の色々な店を物色。「コドモやアカゴがいなければ、この辺を歩くのは普通に楽しい」ということを痛感しつつボヤボヤと歩いたので、結局会場へ着いた時には既に午後2時を少しまわった頃になっていたのだった。

会場にはまだ junedrop さんの姿がなかったので、とりあえず展示を鑑賞。詳細な内容はブログにあるのでそちらを見て頂ければ良いかと思うが、まあどれもこれもかわいらしくて楽しい作品たちである。仕事が細かい上に丁寧。しばらく見惚れているところへ junedrop さんが来られたので少し話をしたのであるが、こう、作品について話をして改めて気付くような、何というか、かなり深く細かい部分についてまでアイデアがきちんと練り込んであり、作品の隅々にまで神経が行き届いているという、そのことに感心したのだった。ご本人は「気付いてもらえないのが哀しい」というようなことをおっしゃっていたが、個人的には、ふとした瞬間に気付いてちょっとニヤけるぐらいの感じが逆に気持ち良いので、そのままの感じで全然良いと思う。

junedrop さんには、私の駄文を手のひらサイズの豆本に仕立て上げる「スリッパ文庫」という試みをしていただいており、先日わざわざ郵送して頂いた第1弾とともに、その第2弾が作られ、展示されていたのでチェックする。今回のは、小さな赤い靴下に豆本が入っており、本の内容は、ご本人のブログで伏せられていたので敢えてどの日記かは書かないが、相当昔に書いた、クリスマスに関する日記である。何しろ書いた本人ですら、確かにそういったことがあったことは割と鮮明に覚えていて、それを日記に書いたこともうっすら覚えてはいるものの、具体的にどういう風に書いたかということについては全く覚えていなかったぐらいに昔の日記である。改めて読んで、「今の私ならもう少しこう書く」みたいなことも思わないではないが、それでもまあ我ながら良い具合にバカな日記であることに感心したのであるが、しかしまあ、そんなバカ日記を、こんなステキな装幀に仕上げる junedrop さんが、頼もしいというか、いじらしいというか、ありがたい限りであると思う。

しばらく色々と話をしたものの、「いつか数が揃えば是非「スリッパ文庫展」を」というような図々しいことを言いながら、時間がなかったので割とそそくさと帰ってしまったのが心残りである。しかも、結局午後3時からの予定は、待ってた市バスがちいとも来なかったのでキャンセルしたのであって、そんなことなら、もう少しゆっくりしてれば良かったと思うのだった。


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