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子育て日和 [コドモ]

基本的に、コドモとアカゴは、他人の子供よりも可愛いと思う私である。例えば、何処かのデパートで「赤ちゃん休憩室」みたいな所へ行くと、必然的によその子供や赤ちゃんを目にするわけなのだが、まあ、8割方ブサイクであり、絶対にコドモやアカゴの方が可愛いと思うわけなのであるが、これは、「自分の子が一番可愛く見える」という親の心理によるものなのか、それとも客観的に見てコドモやアカゴの可愛さレベルが高いのか、自分では判別がつかないのだった。個人的には、客観的に見て可愛いと思っているつもりなのであるが、もしかしたらそうでもないのかもしれない。ただ、コドモよりも明らかに可愛いと思える子供たちもなかには存在しているのであって、そういう意味ではコドモやアカゴもそれなりの可愛さレベルを保っているのではないかと思うのは、親バカのなせる技なのだろうか。

冒頭、「基本的に」と書いたのには訳があって、つまり、可愛くないと思える瞬間というのがあるのである。というか、後で客観的に考えた時には可愛らしい子供の行動なのであるが、自分がその当事者となっている瞬間だけは、それがただイライラを募らせるだけの行動でしかない場合があるのである。

例えば、コドモがおもちゃを「片付ける」と言いながら、片付けようとして手に取ったおもちゃでまた遊び出したりして延々片付けないとか、「片付けないと置いていくよ」などと言って置いていこうとすると泣いて「かたづけるー」と言うので、「じゃあ、隣の部屋にいるから、片付けたら呼んでね」などと言って隣の部屋で本を読んだりしてたら1時間たっても全然片付いていなかったとか、或いは、トイレに「一緒に行く」と言うので連れて行ったら「おとうさんじゃなくて、おかあさんが良い」みたいなことを言って泣き出したり、もっと単純に、机の上のおもちゃを落としただとか、お風呂で湯船のお湯を外に捨てたとか、挙げていけば色々あるのであるが、これらの行動は、今こうして書き出してその様子を何となく想像している分には、割に可愛らしく子供らしいのであるが、これが、ことその当事者となると、ただただイライラさせられるだけであって、もうなんだか叱らずにはいられなくなるわけなのである。

子育てを経験したことがある方にはわかってもらえるのかもしれないが、他にも、後で思い返すと、そんな怒るほどのことでもないような些細なこと、例えば「鼻くそをほじった」みたいなことであっても、その時の自分の気持ち的には叱らずにはいられない心情になってしまうことが多々あるわけなのであるが、これは、何か、親としての使命感みたいなものなのだろうか。母性本能というか、父性本能というか、そういった「我が子をしつけるべし」みたいな本能によるものとしか思えないのであるが、そういった本能に従ってコドモを叱っていて大丈夫なのだろうかと、ふと不安になったり後悔したりしながら、日々過ごしている我が家である。

きっと、子育てというのは、そういうものなのだろうと思う。

というか、怒られてる最中に鼻をほじっていることがよくあるコドモも、ちょっとどうかと思う私である。まあ、食べないだけマシであるが。

そういえば、コドモが、ほじった鼻くそをアカゴに付けようとしていたので思いっきり叱ったことがあったのだったが、散々叱った後に「何でそんなことしたの?」と問いただすと、その答えが「ちょっとやってみようと思ったの」で、何か、それはそれで可愛いと思ったのだった。やはり、基本的には、コドモもアカゴも可愛いのである。


実家日和 [コドモ]

前回、「毎日一言ぐらい何かしら更新した方が良いのだろうか」などと書いておきながら、その翌日ですら何の音沙汰もなく更新していないのは、実家で手伝いをするために帰省していたからなのだった。それならそれで前もって書いておけば良かったのだろうが、書いていなかった。申し訳ない。

そんなわけで、土曜の夜に、作業の邪魔になりそうだったのでコドモやアカゴをおいて、必然的に相方さんもおいて一人で実家に帰ったのだった。

一人で過ごす実家の夜は、コドモやアカゴ、相方さんを抜きにして両親と話すのも照れくさく、というか、そもそも両親は夜が早くて11時には床についているわけなのであって、そうなるとテレビ以外にこれといった娯楽もなく、それならと実家でしか見られない民放のBSデジタル放送とかを適当に見てみるものの、圧倒的な映像の美しさをもってして「どこか下町の、ある豆腐屋の朝」みたいなものを見せつけられ、「それ、わざわざBSデジタルで放送することなのか」と疑問を感じてテレビを消し、それで結局、電車の中で読もうと思って持ってきていた、ずっと以前に買っておきながら読むタイミングをすっかり逃していた「老人力/赤瀬川原平」の文庫を読んで過ごしていたのだった。今更私が言うことでもないが、「老人力」とは、「もの忘れ」や「ボケ」などの老化現象を表す名称であり、「最近もの忘れがひどくて・・・」というかわりに「最近、めっきり老人力がついてきて・・・」という風に使う。こういう考え方、ポジティブで良いなあと思う。

翌日曜日、早朝6時過ぎに目が覚めたのは、決して「老人力」によるものではなく、いつもコドモに起こされているせいである。それで、同じく早朝より、おそらく「老人力」のおかげで早起きなのかもしれないアキオさん(実父)やケイコさん(実母)とともに、7時頃から作業開始。早い時間から作業を始めたこともあって、何だかんだで10時前には作業が終了。しばらくのんびりテレビを見て過ごし、昼ご飯を軽くすませ、自宅へ戻ったのだった。

実家に帰るといつも帰りに色々、実家で作っている米だの野菜だのをもらって帰るのであるが、今日は何故か、米やエンドウ豆に混じって「王将の餃子(冷凍)」を、まるで自分ちで作ったかのような振る舞いで渡されたのだった。よくわからないが、「可愛い息子に王将の餃子を食べさせてやりたい」とか思ったのだろうか。王将の餃子ぐらいは、自分の甲斐性で何とかなる範囲なのであるが。

さて。自宅へ戻ると、今度はコドモの遊び相手なぞするわけなのであるが、コドモのことについては思う所もあり、書きたいこともあるのであるが、時間が時間なのでまた明日以降に。


エクトプラズム日和 [雑記]

この日記は、一応、更新できる日はできるだけ毎日更新するつもりでいるのであるが、そうは言っても諸般の事情で更新できない日もあり、昨日も、更新するつもりで書くには書いたのであるが、どうにも出来上がったものに気乗りがしなかったために更新はしなかったのだった。それでもパソコンの前に座っていたわけなのであるが、そういう場合にも、一言ぐらい何かしら更新した方が良いのだろうか。何でも良いから一言でも更新した方が喜ばれるのか、それとも、そんな中途半端な更新は必要ないのか、その辺りがよくわからない。

それにしても暑い。余りの暑さに、コドモが布団から転がって畳の上で寝ている始末である。しかも、うつ伏せである。なんか、「・・・み、みず・・・」みたいな格好である。砂漠で遭難した夢でも見ているのかもしれない。

と思ったら、泣き出した。相方さんが様子を見に行くと、しばらくして再び寝付いたのだったが、相方さん曰く、寝言で「ごめんなさい」と言っていたそうである。何だろう、砂漠で遭難して、誰かに水をもらったのに遊んでいたらこぼしてしまって相方さんに怒られている夢でも見ているのかもしれない。

今朝、京都駅で何気にすれ違った爺さんは、口から何やら白いものをポトポト落としながら歩いていたのだったが、それが唾液だったのか、それともエクトプラズム的なものだったのか、今となっては判別がつかないのが残念な限りである。今晩は暑くて寝苦しい夜になりそうであるが、あの爺さんは、元気でいるのだろうか。少し心配である。


パスワード日和 [パソコン]

「パスワードはメモしておけ」--MSのセキュリティ担当幹部、自説を披露 -CNET Japan

Microsoft でセキュリティポリシーを担当する上級プログラム管理者、と説明されても何のことやらさっぱりであるが、まあそんな Johansson 氏が講演にて語ったところによると、セキュリティ業界が20年もの間推奨し続けてきた「パスワードをメモしてはいけない」というアドバイスは、間違っていたのだという。20年て。今頃言うなって話である。

Microsoftのセキュリティ専門家によると、企業は従業員がパスワードを書き留めるのを禁止すべきではないという。パスワードをメモすることが禁じられてしまうと、従業員が多数のシステムで同じパスワードを使うことを余儀なくされるというのが同氏の考えだ。

様々なシステムで同じパスワードを使うことは、結果的に見れば、全体的なセキュリティを弱めることになるのだという。言われてみればその通りである。確かに私も、多くのシステムで似たようなパスワードを使用しており、それはつまり、何か一つのパスワードが破られれば、同様のパスワードで様々なシステムにもログインできてしまう可能性があるということなのである。その危険性も、よくわかる。

「実際に私は68のパスワードを使っているが、もしこれらをメモしておくことが許されないなら、結局いつも同じパスワードを使うことになるだろう。 〜(中略)〜 パスワードを紙にメモして、そのメモをきちんと管理すれば、何ら問題はないはずだ」(Johansson)

言いたいことはよくわかる。よくわかるが故に、ここは一つ、声を大にして言いたいが、百歩譲ってパスワードをメモに書いたとして、「そのメモをきちんと管理」なんて、普通、できないのである。できっこない。「何か大事なことをメモした付箋をパソコンのディスプレイに貼ったものの、その付箋が風かなにかで落ちて何処かへいってしまったとしても、その付箋がなくなったことにすら気が付かない」という人が、世の中にはワンサカと、ロマンティックな言い方をすれば、星の数ほどいるのである。そんな人たちは、「メモした付箋をディスプレイに貼る」のが、もう、ギリなのではないだろうか。

というか、そもそも、68ものパスワードを全部メモに書いて管理しているという Johansson 氏の正気を疑わざるをえない私である。ちょっと尋常ではない。というか、異常である。68種類ものパスワードを思いつくのも異常であるし、それを逐一メモに書いているというのも、何ともストイックで、ある意味ちょっと不気味な印象を受けるのは私だけなのだろうか。

パスワードで思い出したのだが、私が小学生の頃の最もポピュラーな暗号は「あぶりだし」だった。いや、正確に言えば「あぶりだし」で絵を描いたことも、字を書いたことも、ましてや年賀状を書いたこともないのであるが、ただ、白紙の紙を見るたびに友人たちと冗談で「あ、あぶりだしや」とバカの一つ覚えのように繰り返し言っていたことだけは確かなのである。テストや宿題を白紙で提出しては「あぶりだしで書いた」などと言い張るのが、ある意味オトコらしい振る舞いだったのである。小学生男子というのは、つくづくバカでくだらない生き物である。

いくらシステム毎にパスワードを分け、それをメモに書いて管理したとしても、そのメモ自体が簡単に人の目に触れるようでは、やはり問題である。となれば、やはり、パスワードのメモこそ、あぶりだしで書くべきなのではないだろうか。


Roots微糖日和 [雑記]

この間、仕事の合間に自販機で缶コーヒーを買った。JTの Roots 微糖である。別にお気に入りでも何でもなく、その日たまたま、それを買ったというだけであるが、ただ、何となく缶コーヒーを買う時は「微糖」を買いがちなのは、気持ち、体への悪影響が少なそうだからである。そんなに体が気になるなら、いっそ「お茶」や「水」を買えば良いのであって、何というか、体への気遣いが中途半端であるのは重々承知の上なのであるが、それでもコーヒーを飲みたい私みたいな人間には、「微糖」という文字が神々しく輝いて見えるのである。タバコで言えば、タール 1mg みたいなものである。吸わないのでよくわからないが、たぶん、そういう感じである。わかりやすく書けば、「ダイエット中なので、間食を控えるかわりに、お米を一日8合食べる」みたいな感じだろうか。或いは「間食には「ちくわぶ」を食べる」みたいな感じだろうか。

というか、缶コーヒーのどれがおいしいとか、おいしくないとか、あんまりわからないのであって、どれもイマイチ美味しくないというか、ちゃんとドリップしたコーヒーには敵わないと思っているので、意外と缶コーヒーにこだわりはない私である。誰か、缶コーヒーのお薦めがあれば、教えて欲しいくらいである。

でまあ、だらだらと書いたものの、その辺りの部分は、本題とは全く関係なくてどうでも良いのであるが、とにかく自販機に500円玉を入れてその「微糖」のボタンを押したのであるが、すると自販機下部から「ゴシャンッ」という音が、いつもの2割増くらいの勢いで鳴り響いたのである。まるでコントのような音である。それで取り出し口を見てみると、缶コーヒーが何やら大量になだれ落ちてきており、びっくりするくらいぎゅうぎゅうひしめきあっているのだった。念のためにお釣りを確認すると、きちんと計算されて出てきているので、間違って何本か買ってしまったわけではないらしい。つまり、自販機側の不備である。ちょっとイヤらしい書き方をすれば、「・・・いっぱい出ちゃった・・・」という話である。我ながら「何書いてんだ」と思う。思うが、このまま進める私を許して欲しい。たまには、こういった勢いも必要なのである。

で、大量に出てきた缶コーヒー。これはラッキーだと思い、全部持って帰ろうと思ったものの、取り出し口には缶コーヒーが思うさま詰まっており、逆に一本も取り出せない。それはそれでショックであるので、何とか必死に取り出し口をガチャガチャとやっていたのだったが、これ、端から見れば、かなり怪しい人である。何か、不法滞在中の外人グループが自販機で良からぬことをしているかのように見られやしないかと不安に思いつつ、それでも何とか缶コーヒーを取り出すことに成功したのだった。よく冷えているRoots 微糖、全部で10缶。何はともあれ、缶コーヒーで良かった。これが例えば、よくわからないが、なんか「ちくわぶ」とかだったら、そんなに日持ちもしないだろうし、味も微妙だし(食べたことないけど)で、きっと処理に困っていたところなのである。


環境の変化日和 [雑記]

昨日は、昼間に電車で実家から市内に戻り、伊勢丹でオムライスを食べ、2時頃からコドモと3時間近く昼寝したにも関わらず体調が悪く、こうして文章を書くこともままならない状態なのだった。というか、夕飯を食べて「ナロンエース」を飲んだ私は、コドモとアカゴの湯上がりをとるのが精一杯で、夜9時過ぎから布団に潜り込むと朝までぐっすり眠ったのだった。疲れていたからなのか薬のせいなのかはわからないが、何度か夢を見ていたのだったが、その内容は、今は思い出せない。確か、何か仕事に関する夢ではなかっただろうか。

気付いたのだが、どうやら最近の私は、ホコリっぽいのに弱いらしい。

今回体調を崩したそもそものきっかけは、先週金曜日、私の働いている事務所がビルの2階から3階へ移動するため、その引っ越し作業を行っており、土曜は土曜で社内の他部署の引っ越し作業を手伝っており、ついでに色々掃除っぽいこともしたりしていたわけなのだったが、ちょうどその金曜辺りから、鼻水は出るわくしゃみは出るわ目がくしゃくしゃするわで、いわゆる花粉症的な症状に見舞われていたのである。

ゴールデンウィークに実家へ帰った時にも一度そういう症状になったことがあり、その時は、相方さんの実家に帰った時が鼻水とくしゃみのピークで、おかげで個人的には落ち着いて話もできなかったくらいなのであるが、それがホコリのせいなのかどうかはよくわからないが、環境の変化に伴うものには違いないのではないかと勝手に分析している次第である。年を取ると、環境の変化に体がついていかなくなってくるのかもしれない。「年を取ると」ってほどの年でもないが。

さて。前々回に書いた、外人客たちのその後の様子であるが、前々回の最後に「続きはまた」とか書いたものの、実はその翌日といってもそう大したことがあったわけでもなく、朝は9時過ぎぐらいからみんなじわじわと起き始め、相方さんが作っておいてくれた朝食を交代で食べ、コドモは保育園へ連れて行ったのでいなかったのであるが、代わりにアカゴをみんなで愛でながら、色々話をしたりした後、その日のライブ会場である名古屋へと出発するmapチーム、7e.p.チームをそれぞれ見送ったという、書いてみればかなりあっさりした一日なのだった。というか、我が家を出発したmapチームはそのまま、温泉付きスーパー銭湯へ、7e.p.チームは嵐山の岩田山という、日本猿が山道を観光客のカバンめがけて襲ってくるともっぱらの評判の、確か「猿と目を合わせてはいけない」という内容の看板がそこかしこに立ててあるという物騒な猿山へと向かっていったのであって、何だろう、「名古屋へ出発した感」は皆無なのだった。別に、だからどうってことでもないが。

面白かったのは、出発前に彼らが車に荷物を積んでいる様子を、彼らと全く関係ないはずの近所のおばあが、まるで自分家の息子を見送るかのようにニコニコと眺めており、ハタからみていると何となく馴染んで見えるのが可笑しくてたまらなかったのだった。或いは通りすがった外人たちに「頑張りや」などと声を掛けたりもしており、その馴れ馴れしさに度肝を抜かれた私と相方さんである。

思いつくままに思い出したことを書いて申し訳ないが、彼ら欧米人には欧米人特有の匂いがあり、いつも彼らを泊めると、部屋が欧米人たちの匂いでいっぱいになるのだった。別に、それが良いとか悪いとか、くさいとかくさくないとかいう話ではなくて、ただ純粋に「欧米人特有の匂いというものがある」という、ただそれだけの話である。

で、そういう「欧米人くささ」を感じるたびに「ああ、欧米人特有の匂いがあるなあ」ということを思い出すわけなのであるが、それと同じように、きっと我が家に来た欧米人たちも「なんて日本人くさい家だ」とか思ってるんだろうなあと、特に私の家なんかは築20年クラスの、超が付くほどの木造住宅なのであって、間違いなく「なんだかジメジメしてるなあ」とか思われているに違いなく、下手すれば「カビくさいなあ」と思われている可能性もあって、もしそうだとすれば、それはそれで申し訳ないのであるが、でもまあ、それぐらいのことは、泊めてあげているので我慢しておいて欲しいと思う私である。

でまあ、そういった匂いも含めた「環境の変化」を日々感じながらも、結構なハードスケジュールで日本をライブしてまわる彼女らは、やはりタフなのだなあと思うのだった。

それを痛感したのは、別れ際に彼女たち全員と握手した時である。みんな可愛らしい人たちばかりだったのだが、手だけはものすっごいガッシリしてて驚いたのである。日本人で、あのガッシリした手の女性とは巡り会ったことないというくらいにガッシリしていた。私よりもきっと全然ガッシリしていると思う。何となく、「ああ、和田アキ子って、きっとこんな手なんだろうなあ」と思わず考えてしまった私である。


駄菓子屋日和 [雑記]

最近は、近くのスーパーの「アイス4割引」とか「アイス半額」みたいな日を狙ってごっそり買いだめするようになったアイスジャンキーな我が家であり、おかげで、今我が家の冷凍室はちょっとした駄菓子屋みたいなことになっているのだった。ある種、壮観である。子供の頃、オトナになったら2リットルとかのバカでかいアイスを買って一人で全部食べてやるとか思っていたわけであるが、現在それにほぼ近い状態になりつつあるわけであって、そういう意味では、子供の夢は、信じていればいつかきっと叶うのだろうと思う。まあ、「ちっちゃければ」の話であるが。

今日は昨日の続きで、水曜朝に目覚めた白人たちのことを書こうと思いつつも、色々あってこんな時間である。もっと言えば明日は土曜であるが出勤日なので、もう寝なければならない。ライブ翌日の様子はまた次回に書きたい。といいつつも、明日は仕事終わりで実家に帰省予定であり、今度の更新は日曜深夜になるのではないかと思われ。


民宿日和 [音楽]

16日(月)深夜、難波ベアーズでのライブ終了後に、7e.p. のアリさん、サイトウさんと、今回日本をツアーでまわっている、アメリカ・オレゴン州ポートランド在住の女性アーティスト・ミラと、同行して一緒に演奏もしているエミリが我が家へ泊まりにやってきたのは、12時を少し過ぎた頃だった。コドモとアカゴと相方さんは軽く就寝中だったので静かに全員を2階へ案内するものの、何だかんだで勝手のわかっているアリさんとサイトウさんなので、後は任せて私も就寝することにしたのだった。何しろ、翌朝は普通に出勤なのである。

7e.p.絡みで泊まってもらうのは今年に入って2度目で、今回宿泊中に早くも3度目の宿泊が8月に決定し、7e.p.御用達の宿となりつつある我が家である。というか、酔っぱらって家に帰れなくなったアキオさん(実父)以外、親族ですらほとんど泊まったことのない我が家に、友人たちが毎回外人を連れて、まるで子の成長をアサガオの観察日記のように見に来ているという状況が、よくよく考えると笑えるものがあるのだった。とはいえ、色んな人たちに泊まっていってもらうのは、それはそれで実はこっちもかなり楽しいのであって、そもそも普通に生活しているだけではなかなか得難い経験なのだろうと思え、我ながら良い環境だなあと感慨深いものがある私と相方さんなのである。

翌17日(火)は、朝は普通に出勤し、帰宅後は本日のライブ会場である京都アンデパンダンへ移動。家で相方さんやコドモ、アカゴとしばらく和んだり夕飯食べたりしてから行ったら、着いた時にはもう日本人2組の演奏が終わりそうな状況である。友人・トリイくんを見つけたので、つついて春の訪れを知らせ(うそ)、軽く話をしていると、すぐにミラの、可愛らしくて、時折パワフルな演奏が始まったのだった。それで「キュートというのは、つまりこういうことを言うのだろうなあ」ということを肌で感じながらしばらくしみじみと聞き入っていたのだったが、休憩を挟んで始まった、タラ・ジェイン・オニールの演奏は、ミラの可愛らしさとは異なる、かなりの格好良さ、言葉は適切ではないかもしれないが、何というか「オトコマエさ」みたいなものでもって、その場の空気をガラリと塗り替えていったのだった。格好いい。

タラは、ミラと同じくポートランド在住の女性アーティストで、今回は map 主催で日本ツアーをまわっており、ここ京都からは親交の深いミラとも一緒にツアーをすることになっているのだった。ということはつまり、今日はタラ御一行も我が家に宿泊することになっているわけなのである。

ライブ終了後、そのまま会場内で色々料理を出してもらって打ち上げ。久しぶりにあったアリさん、サイトウさんやトリイくん何かと、「基本的にはどうだって良い」みたいな話を延々とする。何しろ、私は翌18日(水)有休を取ったのであって、わりと遅くても平気なのである。とはいっても、きっとコドモに7時前に起こされるのではあるが。

そんなわけで、打ち上げでアンデパンダンの美味しい料理をたらふく食べた後、タクシー移動の map チームを、本日の宿へとご案内したのだった。というか、まあ、自分の家に、一緒に帰っただけの話である。

いや、まあこんなにダラダラ書くつもりもなく、何か面白げな部分だけ、何なら箇条書きでサクサク書くつもりだったのであるが、つい癖みたいなものでダラダラと書いてしまいました。長くなったので続きはまた明日。

最後に、この日言われた印象に残っている言葉を箇条書きで。ちなみに、「板さん」というのは私のことで、「ウッチー」というのは、ほとんど同い年のドラマー(普段はサラリーマン)である。

「板さんの奥さん、懐深いよね」

「板さんち、漫画が充実してるよね」

「ウッチーが着てると、「スーツ」じゃなくて「背広」って感じだよね」

それでは、また明日(たぶん)。


ゴロゴロ日和 [コドモ]

土曜日は、朝起きて、ご飯食べて、散髪に行き、帰って来たらコドモと相方さんが10時半のおやつを食べていたので一緒に食べ、コドモと少しだけ遊んで昼食。その後コドモと一緒に軽く昼寝をして、私は3時ぐらいに起きてしばらくテレビを見たりしてボーッと過ごし、コドモは4時過ぎぐらいに起きたのであるが、そこからまたコドモとおもちゃで少し遊び、気が付けば7時で、急いで夕飯を食べ8時ぐらいからお風呂に入り、10時前にコドモを寝かしつけたのだったが、寝かしつけた後にふと、あっという間に一日が過ぎたことに気付いたのだった。もの凄く健康的ではあるが、もの凄く何もしていない一日である。それで、何もしていないのにお腹は減るし、時間は湯水のように過ぎていくことに軽く驚きを感じていたのだったが、その話を相方さんにすると、相方さん曰く「平日の昼間にコドモといたら、油断すれば毎日こんなん」なのだそうで、やはり育児というのは、色々大変であると思うのだった。

で、いつもはコドモが寝た後、相方さんと録りためているビデオの中から軽めで笑えるのを見るのであるが、今日は一日ゴロゴロ過ごし、昼寝までして二人とも元気だったため、少し重めのビデオを2時間半みっちりと見て、その後リチャードホールのバカコントを見て、あとまあ色々うだうだしてから就寝。この日見たビデオのことについては、いずれまた。およそ10年前に上演された、あるお芝居のビデオだったのであるが、きっとそうなるとは思っていたのだが、やはり、見て種種様々な刺激を受けた私である。

夕方、2階の部屋で遊んでいる最中にコドモが「おしっこ」と言い出したのであるが、おしっこなら一人でできるオトコに成長したコドモであるので「一人で行ってきなさい」と言うと、「んっ。わかった」と階段をテケテケ降りていき、1階のトイレへ向かっていったのだった。それで、相方さんと「随分手がかからなくなったなあ」などと感慨深げに話をし、「トイレに一緒に行ったり、おむつ換えたりお漏らしされたりしないというのは、1年前には考えられなかったほどの成長で、ある種、奇跡のよう」などと話していると、トイレに行ったはずのコドモが、相方さんのことを「おくさーん!」と呼びながら帰ってくる足音が聞こえ、せっかく褒めてたのに言ってるそばから帰ってきたので笑ったのだった。桂三枝なら、ソファをひっくり返してこけるところである。で、お漏らしでもしたのかと思い慌てて相方さんが様子を見に行くと、何を言うかと思えば、台所が暗くて「ちょっと怖かった」のだそうである。まだ夕方なのに。

さて。今日も朝7時過ぎに起きてコドモと朝食を食べたのだったが、その後、ベランダで洗濯を干すのをコドモに手伝ってもらっていると、「コドモに「これ、おかあさんのパンツ?」と、近所に響き渡るほどの大声で言われる」という恥ずかしめを受け、朝から幸先の良い一日のスタートを切った私である。

お昼は、近所の店に食べに行こうと思っていたらコドモが「電車に乗る」言い出し、それで京都駅の伊勢丹でやってた「九州うまいもん市」で、佐世保バーガーを食べ、あと、豚の角煮が余りにおいしそうだったので、思わず結構な値段で購入し、夕飯のおかずにしたのだった。あと、「コドモが牛乳を飲む」と言ったので売ってた牛乳を買ったら、紙コップ一杯350円という驚愕の値段だった。子供って残酷である。


マフィン日和 [雑記]

少し前の話になるが、相方さんがマフィンを作ってくれたのだったが、それで、おいしそうだと思いつつ見とれていると、その様子を見ていた相方さんに「あれ? 踊らないの?」と言われたのだった。

何でも、「マフィンを作ってくれたら、マフィンダンスを踊る」と言ったらしい。私が。ちっとも覚えてないのだが。というか、何だ、マフィンダンスって。


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